SPEAKER
- 藤岡 淳一
- JENESIS株式会社
代表取締役社長 CEO
Interview
学生時代は専門学校で音響技術を学び、在学中はインターンでライブハウスの照明の仕事に就きました。しかし業務は不安定。早々に就職活動を始めましたが、当時は“就職氷河期”真っただ中で正社員の道は険しく、派遣会社経由でなんとかたどり着いたのが通信機器工場での検査・修理業務でした。
そんな二十歳そこそこの頃、本社から「半導体設計の人手が足りないからやってみないか」と声をかけてもらったのが転機となり、本格的に設計開発の業界に飛び込みました。知識も経験もゼロでしたが、必死で食らいつき、毎日がむしゃらに働きました。その姿勢が評価され、20代半ばにはソニーグループの半導体関連企業に正社員として迎えられたのです。
そこで経験したのは、技術営業として部材や半導体を売り込む日々。クライアントと共に設計にも携わるようになり、ある外資系企業から「うちに来ないか」と誘いを受けました。グローバルの世界に飛び込むことを決意し、転職して間もなく台湾へ赴任することに。さらには深圳代表処の立ち上げを任され、激動の日々を送る中でビジネスや経営の基礎を培いました。しかし、ある日突然社長がいわゆる“蒸発”したことで、会社はあっけなく倒産します。残された私は、取引先への説明や後処理に奔走しました。そんななか、「藤岡さん、いっそ自分で会社を興してみたら」と背中を押される機会が増えていきました。
経営者としての道が頭をよぎり始めていた頃、転機となったのは、当時お世話になっていたプリント基板の会社が上場するというタイミング。声をかけていただき、当初は事業部でのスタートでしたが、その後その事業部を分社化し、私が代表に就任することとなりました。しかし、リーマンショックによって親会社が経営難に陥り、私たちの会社は大手電気通信事業者へ売却されることに。ここで本格的に“IT”の世界と向き合うことになります。当時の経営陣からは「これからはインターネットにつながらない製品に未来はない」と強く言われたものの、まだIoTという言葉すら一般化していない時代。私はこの方針に違和感を抱き、2011年、自らの手で会社を立ち上げる決意を固めました。

とはいえ潤沢な資金もなく、母に借りた200万円を元手に中国・深圳のマンションを借り、現地スタッフ3名と共に検査・検品代行業からスタート――これがJENESISの原点です。ここまでなかなか波瀾万丈なキャリアを歩んできましたが、製造の現場から営業、経営まで一通り経験したことが全て役に立っていると強く実感したことを覚えています。
「いつかは製造の上流から携わりたい」そんな思いを胸に、会社の成長と共に本格的な製造受託へと事業をシフトしていきます。運よく、この頃の日本では地デジ移行が進んでおり、地デジチューナーなどの受注が大量に舞い込んできました。案件の増加に伴い、日本法人(現:JENESIS)を開設するなど、急激に成長軌道に乗った時期でした。
しかし、ここで立ちはだかったのが中国・尖閣諸島問題。日本向けに製品を提供していた私たちも当然無関係とはいかず、中国での部材調達や製造が困難になる場面もありました。そうした経験から、「製造を担うなら、自社で工場を持つしかない」と決意を固めます。
そして2014年、複数の企業に出資いただき、念願の自社工場を深圳に設立。30名にも満たない小規模でしたが、そこには“モノづくり”の熱量が満ちていました。
深圳のエコシステムは非常に流動的で、毎年のように環境が変わるといっても過言ではありません。その変化に柔軟に対応しながら、いわゆる“旬”の部材を取り入れることでコストを抑え、品質の高い製品を提供することを心がけてきました。ただ、目まぐるしく変わる環境のなかで、サプライヤーとの関係性を維持することは非常に難しく、1~2年で半ば喧嘩別れの様に契約終了に至ることも少なくありません。それでも私たちにとってサプライヤーは極めて重要なパートナーです。部品が届かなければ製造が止まる――そのリスクを常に念頭に置きながら、信頼関係を築いていきました。

工場の立ち上げと時を同じくして、日本ではMVNO市場が立ち上がり、JENESISにも大手小売業者からスマホ製造案件などの依頼が入り始め、ODM事業者として少しずつ名前が知られていきました。
そんな中、当時支援を受けていたベンチャーキャピタル経由でネオスと出会います。ネオスはキッズ向けタブレットの受託開発におけるパートナーを探しており、この案件を機に共同での取り組みが始まりました。しかしその最中、円安による部材費高騰により資金繰りが一気に厳しくなり、出資に頼らねばどうにもならない状況に追い込まれます。さらに、社内では経営方針を巡る内部対立も表面化。まさにJENESISの分岐点でした。その時、資本提携先の一つとして候補に挙がったのがネオスでした。ちょうどデバイス領域への参入を検討していたネオスにとっても、JENESISの事業やノウハウは魅力だったのだと思います。とはいえ、当時の私たちはまさに背水の陣。提携に慎重なネオスに対し、何とかチャンスをつかまなければという想いで交渉にあたりました。そして、まずは業務提携という形で関係を築き、その後ネオスによる株式取得を経てグループ会社となったのです。
あの出会いがなければ、今のJENESISは存在していなかったかもしれません。ただ、それは棚ぼたのような話では決してなく、行き詰りそうな局面であっても、一つひとつの選択と行動を積み重ねてきた結果だったと今では思います。手探りで築いてきた道の先に見えてきた次なるステージ――ここからJENESISは「IoT時代のモノづくりを支える存在」へと、進化の歩みを加速させていくことになります。