ゲーム事業の開花
コロナ禍にあって、グループの業績を支えたのはネオス コンシューマ&コンテンツカンパニーのゲーム事業であった。源流は、創業当時のコンテンツ事業がスマホによるマーケット変遷により衰退していく中で、新しい活路を求めてプロジェクトチームを興したメンバーたちである。2012年以降、このチームはNTTドコモが提供する「dキッズ」向けに知育アプリを開発し、着々と実績を上げていた。特に「クレヨンしんちゃん」を起用したお手伝いアプリは大ヒットし、dキッズ内でも常に上位に位置する人気コンテンツとなっていた。
カンパニーを率いる池田とシニアバイスプレジデントの長嶋は、スマホ向けアプリでの実績を蓄積する中で、コンソールゲーム市場への参入を視野に捉えていた。アプリ開発で積み上げた実績と、キャラクターの世界観を活かしたコンテンツ制作のノウハウ、これらを活かせるフィールドはスマホの先にもきっとある。そして2017年、Nintendo Switchが発売されるとコンソールゲーム市場は活況を呈していた。「やるなら今だ」――そう判断し、満を持して新たなゲームプロジェクトを始動した。
IT企業がコンソールゲーム市場に参入する例は少ない。新市場への参入という高いハードルを前に、チームは徹底したリサーチと検討を重ねた。どんなジャンルで勝負するか、誰に届けるか、自社のアセットをどう活かすか。開発体制やパブリッシングの調整にも奔走しながら、試行錯誤の末に2019年7月に第1作目となる「ぷるきゃらフレンズ~ほっぺちゃんとサンリオキャラクターズ~」のリリースにこぎつけた。キャラクターの版元とのネットワークを活かし、世界的な人気を誇る「サンリオキャラクターズ」と、キッズ向け雑貨で絶大な支持を得ていた「ほっぺちゃん」との夢のコラボを実現。ゲーム用に描き下ろした新たなキャラクターデザインや、独自の世界観をもつシミュレーションゲームとして仕上げた。
しかし、発売後の販売実績は想定に届かず、「ヒット」と呼べるには遠かった。要因のひとつと見られたのが、ターゲットと購入層のズレだった。キャラクター好きの大人もターゲットとして想定していたが、ビジュアルやゲームの雰囲気が“子ども向け”と受け取られ、大人が手に取りにくい印象を与えてしまったのではないかと分析された。

これを踏まえ、2作目ではより幅広い年齢層に支持されるキャラクターの起用を検討。選ばれたのは、LINEスタンプで人気に火がつき、「癒し系」キャラとしてSNSやアニメなどでも親しまれている「コウペンちゃん」だった。さらにミニゲームを集めたパーティゲーム形式を採用し、キッズから大人までが気軽に楽しめる仕様に。またプロモーションにも力を入れ、タレントを起用したテレビCMの放映なども行い、2020年9月にリリースされると一定の話題を呼んだ。ゲーム自体の評価も高く、ユーザーからは「癒された」「親子で遊べた」と好意的な声も多かった。だが、販売実績は依然としてヒットの水準には届かず、市場にインパクトを残すには至らなかった。
「いいゲームをつくれば売れる」というシンプルな構図が通用しない、数多のタイトルがひしめくこの市場の難しさを池田は痛感していた。Nintendo Switchへの参入自体が、ネオスにとって大きな賭けであったが、1作目・2作目と大きな成果にはつながらなかった。このまま進むか、それとも撤退か。事業は重要な岐路を迎えていた。池田は次の挑戦が成功しなければ、この事業から撤退する覚悟を固めた。

そうした状況の中で、開発チームが3作目の題材として選んだのは「夏休み」だった。コロナ禍で巣ごもりが続き、誰もが不安を抱く日々。だからこそ、夢のある夏休みの存在が必要なのではないか。そう考えた長嶋が白羽の矢を立てたのは、1990年代に大ヒットしたPlayStationソフト「ぼくのなつやすみ」を手がけたプロデューサー綾部 和氏である。長嶋は「ぼくのなつやすみ」をオマージュした、クレヨンしんちゃんのひと夏の物語を描いた作品を企画し、綾部氏に提案した。「ラブレターを書いたつもりのメールになかなか返事が来ずに気を揉んだ」と語る長嶋に対し、「埋もれていたメールに気づいてすぐに承諾のメッセージを書いた」と綾部氏は振り返る。この参画の決め手となったのは、本作が“クレヨンしんちゃんの新作物語”という設定だったからだ。綾部氏自身が大のクレヨンしんちゃんファンであった。
手掛けたタイトルはまだ2本。成功を確信できるような実績はなかった。だが、この3作目の投資は、それまでとは桁違いの規模となる。まさに「清水の舞台から飛び降りる」ような決断だった。
クレヨンしんちゃんはファン層も幅広く、ターゲットは大人のゲーマーも想定していた。当然ながらグラフィックやストーリーの作り込みも求められる。さらに、クレヨンしんちゃんの世界観を3D化する前例はほぼなく、ファンに受け入れられるかは未知数な上、開発面でも美術背景と3Dの融合という技術的な挑戦が必要であった。販売や流通も含め、全てが手探りで進んでいくなか、任天堂による新作タイトルの発表会「Nintendo Direct」で成功へのビジョンが一気に開けることとなる。無名のメーカーから突如発表されたクレヨンしんちゃんタイトルは、ファンを中心に大きな話題を呼び、配信されたCM動画は200万ビューを達成。これは当時、Nintendo Directで発表されたサードパーティ製タイトルとしては歴代最高の記録であった。「これで酷評されるゲームになったらどうしたらいいのか」という恐怖心すら湧いたと長嶋は語る。そんな思いを払拭するように開発に打ち込み、宣伝販売チームもオリジナル特典や販促施策の企画、流通や販売店との交渉など多忙を極めることになった。
2021年9月、ネオス3作目のゲームタイトルとなる「クレヨンしんちゃん『オラと博士の夏休み』~おわらない七日間の旅~」がついに発売する。数量限定の特典付きパッケージは予約時点で既に完売。販売本数は発売からわずか4日間で10万本を突破し、店頭では売り切れが続出するなど嬉しい悲鳴が次々に上がった。その後も順調に売上を伸ばし、日本国内で30万本以上を販売。さらに翌年には、クレヨンしんちゃんの人気が高い韓国、香港、台湾といったアジア圏、そして欧米へと販路を拡大し、最終的には全世界で発売されると、累計販売本数は50万本以上に達した。この作品を通じて海外市場への足掛かりを生み出したことは、今後の事業展開においても大きな価値に繋がることとなる。
背水の陣で挑んだ3作目の成功により、ネオスのゲーム事業は受託事業、デバイス事業に次ぐ第三の柱へと成長を遂げる。コンソールゲーム市場への参入という突飛とも言える挑戦は、結果的にネオスの歴史における大きな節目となったのだった。

挑戦の先に
「クレヨンしんちゃん『オラと博士の夏休み』~おわらない七日間の旅~」の予想を超える大ヒットは、ネオスにゲームメーカーとしての自信をもたらした。しかし、そこで満足していては、ただの一発屋で終わってしまう。次の作品で “偶然のヒット”ではないことを証明しなければならない。その成功のカギは前作にあった。クレヨンしんちゃんという人気キャラクターに加えて、映画の様に高精細なグラフィックや感情移入を促す演出、緻密に作り込まれたシナリオ。ゲームという枠を超え、プレイヤーの心に深く残る体験を提供することがネオスの作品における強みと位置付けた。この強みを、シリーズ化を前提とした独自のジャンルへと昇華させる──それが次なる挑戦だった。
開発チームは、新作の舞台を議論し続けた。行き着いたのが、“炭鉱の町”という新たな世界観だ。前作の自然あふれる夏休みとは一線を画す、ややダークでミステリアスな舞台設定。前作のユーザーも新鮮に楽しめる構成を目指した。背景美術、キャラクター表現、イベント演出など、前作で培ったノウハウが随所で活き、クオリティは自然と底上げされた。
一方、マーケティングと販売戦略も大きな進化を遂げていた。前作では海外展開の道を切り拓くため、チーム自らが販路の開拓や現地ディストリビューターとの契約交渉に奔走した。その蓄積があったからこそ、今作では各国の市場特性に応じたプロモーションプランを展開することが出来たのだ。SNSを活用したユーザー参加型のキャンペーン、現地でのPopUpストア展開、インフルエンサーとの連携など、まさに“現地密着型”の施策が次々と打ち出された。
こうした動きは、海外市場での成果としてすぐに現れた。国内のみならずアジア圏を中心に販売数は順調に伸び、海外販売本数は前作を上回る実績を記録。「世界でファンが着実に増えている」という手応えは、開発・マーケティング両面にとって何よりの自信につながり、ゲームメーカーとしての足場を築いたことを物語っていた。

グループの真価
振り返れば、この挑戦は無謀とも言える一歩だった。しかし、その一歩があったからこそ、今のネオスがある。クレヨンしんちゃんという国民的キャラクターの持つブランド力を活かしつつ、細部まで丁寧に作り込む開発力と、海外ネットワークも駆使した販売・マーケティング戦略。これらが三位一体となり、ネオスをゲームメーカーとしての地位へ押し上げた。シリーズ累計の販売本数も90万本を突破し、ゲーム事業はもはや一過性の挑戦ではなく、グループを支える強固な柱へと成長した。
2010年代中盤、ネオスがスマホからのビジネスシフトに苦戦するなか、デバイス事業により業績回復を牽引したJENESIS。そして2020年代に入りコロナ禍でJENESISが深刻なダメージを受けるなか、ゲーム事業の成功によりグループの業績を支えたネオス。この一連の歩みからも、多角的な事業展開がグループの真価として発揮され、不確実な環境下での経営において危機を乗り越える原動力となったことが証明された。