JENESISとの出会い
スマホがもたらした市場変革により、受託やコンテンツ事業において試行錯誤を重ねる中、もう一つの方向性として浮かび上がってきたのが「デバイス事業」だった。「ソフトウェアやコンテンツだけでなく、ハードウェアの領域にも踏み込むべきではないか」——そんな構想が、代表である池田の中で芽生え始めていたのである。
ネオスはこれまで、ユーザー体験をつくる“中身”=サービスを担ってきたが、スマホの登場を契機に、どのデバイス上で、どのように提供されるかが体験価値を大きく左右する時代へと変わりつつあった。だからこそ、ユーザーとの接点=“出口”であるデバイスまで一貫して対応できれば、次なる競争力の源泉になる。これは単なるアイデアではなく、激変する市場環境に対する活路を探す中で導き出された答えであった。
この構想が最初に具現化されたのが、2013年にNTTドコモ向けに開発した「dStick」であった。このスティック型のデバイスにはカスタマイズされたAndroid OSが搭載されており、テレビに差し込むだけで映画・ドラマ・音楽などのコンテンツを楽しめる。いわば、サブスクリプション型ストリーミングサービスの先駆けとして成功を収め、ネオスにとってもデバイス一体型のサービス開発における確かな手応えを感じるきっかけとなった。
一方で、この時ネオスが担ったのは「dStick」という独自デバイスに特化したソフトウェア開発であり、デバイス自体の設計や製造には直接関与していなかった。この経験を経て、池田の中には新たな問いが生まれていた。ソフトウェアだけでなく、デバイスそのものを自社でハンドリングできる体制を作れないだろうか?──。この考えの背景には、当時、ナンバーポータビリティ※の導入などにより、通信回線が従来のように通信キャリア独占ではなくなりつつある市場の変化があった。もしハードウェアの領域にも踏み込めれば、ネオスはより大きな事業展開が可能になるかもしれない。
※ナンバーポータビリティ:電話番号を変えることなく別の携帯電話会社に乗り換えることが出来る制度
そんな折、ネオスはバンダイナムコグループのメガハウス社から、キッズ向けタブレットサービスの開発案件を受ける。このプロジェクトでは、アプリやコンテンツだけでなく、デバイスそのものの開発も要件に含まれていた。そこで、信頼できる開発パートナーを探すことになり、創業時に出資を受けたベンチャーキャピタルの紹介で出会ったのが、中国・深圳にデバイス製造拠点を有するJENESISだった。この出会いは偶然のように思えるかもしれない。しかし、実際には「ハードウェア領域への参入」という明確なビジョンの下、事業体制を模索していたからこそ、JENESISと巡り合うことができたと池田は振り返る。

JENESISの創業者・藤岡は香港で起業後、2011年に中国・深圳でJENESISを設立した。当時、日本では地デジへの移行が急速に進んだことで地デジチューナーの受注が大量に舞い込み、同社は一気に成長軌道に乗った。しかし、2012年末に第二次安倍内閣が発足し、いわゆるアベノミクスによる急激な円安が始まると、状況は一変する。JENESISのビジネスには、部材を調達するために中国深圳のサプライチェーンパートナーが欠かせないが、中国での取引は前払いが基本。つまり、受注先から売上収入が入る前に、多額の部材費用を支払う必要があった。成長フェーズでは資金繰りがタイトになることは避けられず、そこへ急激な円安という追い打ちがかかったことで、JENESISの資金繰りは限界を迎えていた。
この状況下で、当時JENESISを支援していたベンチャーキャピタル経由で資本提携の話が持ち込まれる。候補は2社。そのうちの1社がネオスであった。デバイス事業への参入を見据えていたネオスにとって、この提携話は大きなチャンスに映る一方、池田には巨大なリスクを抱えているようにも見えた。当時のJENESISが置かれていた状況を踏まえれば、簡単に決断できる話ではなかった。
この話をまとめるキーマンとなったのは、当時取締役で財務責任者を務めていた中野であった。藤岡と対話を重ねるなかで、中野はこの提携が単なる投資ではなく大きな価値を生むことを確信。池田に対し提携の意義を強く説いた。この提言もあり、決断の期日が迫るなかで池田と藤岡の直接交渉が行われた。双方が未来を見据え、手を取り合うべきかを探る真剣な対話の末、最終的に資本提携を決断。2015年10月、ネオスが株式を取得したことにより、JENESISは持分法適用関連会社としてグループ入りすることとなった。
これにより、コンテンツからデバイスまで総合的に提供できる体制が築かれ、事業領域は大きく広がっていくことになる。振り返れば、この出会いはグループの歴史を変えた重要な分岐点であった。
二本の柱
グループ参画後、JENESISは経営を立て直し、事業も好調に推移した。2016年頃から、IoTの概念が拡大したことも追い風となった。多様なデバイスがインターネットで繋がるIoTの世界においては、データの処理やサービスはクラウドで対応し、データの収集や閲覧といった機能をデバイスに実装するスタイルが主流である。JENESISがデバイス開発や全体ニーズをキャッチアップし、必要に応じてネオスがサービスやクラウド環境を構築するという役割分担も進んでいった。まさにソフトウェアとハードウェア、双方を生み出せる稀有なグループとして歩み始めたのである。
2018年、ある2つの案件がデバイス事業にとって大きなエポックとなる。一つは、2018年9月にリリースされたJapanTaxi株式会社(現:GO株式会社)の決済機付きタブレットである。元々JENESISとJapanTaxiは業務提携契約を結んでおり、ドライブレコーダーや車載広告用タブレットを開発してきた背景があった。社会的にキャッシュレス決済が拡大していく中で、タクシーの利便性向上と業務効率化を目的に開発されたこの製品は、業界初の決済機能付き端末として認知されることになる。
勢いは続いた。もう一つのエポックな案件、ソースネクスト株式会社の「PockeTalk W」である。JENESISが製造を受託し、決済機付きタブレットと同じ2018年9月に発売。当時Google翻訳がAIのディープラーニングなどによって進化し、翻訳がある程度有意な存在になりつつあったこと、インバウンドの拡大により訪日観光客数が急上昇していた社会的背景などを受け爆発的にヒットした。これがデバイス事業並びにグループ全体の業績を一気に押し上げたことで、前年の赤字から一転してV字回復を達成し、108億円の過去最高売上高を記録。ネオスとJENESISの2本柱という新しい経営体制を強く印象付けることになった。
パンデミックの中で新たなフェーズへ
毛色の違う2つの事業会社がそれぞれ成長し、グループの二本柱が確立されつつある。池田は、プライムワークス創設時に描いた「個性ある法人が集うグループ企業」のビジョンが現実味を帯びてきたことを実感していた。経営の効率化や事業会社間のフラットな体制構築の必要性もあり、2019年にはホールディングス体制への移行準備に入った。思い描いたのは、ホールディングスという大地の上に多彩な企業が成長し、独自の花を咲かせながら共存していくエコシステムの実現だ。しかし、その矢先に世界をも揺るがす厳しい試練が訪れる。
2019年秋、中国・武漢で未知の感染症が拡大。年末年始には、例年通り中国からJENESISの代表・藤岡が日本に戻り、グループ全体でのミーティングが行われた。しかし、中国国内の異変を肌で感じ取っていた藤岡は、予定を切り上げすぐに中国へ戻った。その直後、2020年1月23日中国武漢市がロックダウンされる。JENESISの工場もすべてストップし、従業員も自宅待機を余儀なくされた。その後、アメリカ、ヨーロッパ、ASEAN圏と次々に飛び火し、2020年4月には日本でも緊急事態宣言が発令。世界が翻弄される新型コロナウイルスによるパンデミックの始まりであった。
状況は日々変化し、混沌を極めていた。しかし、今こそ先を見据えた成長戦略を推し進めるべきだと判断した池田は、2020年9月、パンデミックの最中にホールディングスへの移行を完了させ、「JNSホールディングス」と名付けた。JENESISの「J」、Neosの「N」、そして両者を結ぶ「S」。この社名には、異なる強みを持つ企業が融合し、新たな価値を生み出していくという思いが込められた。

ホールディングス化と同時に、ネオス内にソリューションとコンテンツの2つのカンパニー制を導入。これにより、グループの事業セグメントであるソリューション、コンテンツ、デバイスの3つがそれぞれ独立採算制のカンパニーとなった。
業績は一進一退。ネオスのソリューション事業では、旅行などインバウンド関連業界の需要は落ち込んだものの、巣篭もり需要や在宅勤務に対応したオンラインサービスの開発や導入支援といった案件が増加。また、コンテンツ事業では、自宅で過ごす時間が増えたことでエンタメコンテンツの需要が拡大したほか、教育分野の動きも顕著であった。オンライン授業や、文部科学省が推進するGIGAスクール構想も相まって、教育現場におけるDXニーズは急拡大。デジタル教材やタブレットを活用した学習がスタンダードになっていき、知育・教育コンテンツ分野に長年携わってきたネオスには、多くの問い合わせが寄せられていた。一方で、デバイス事業においては、世界的に増加傾向にあった観光客の流れが突然ストップし、「PockeTalk」をはじめとするインバウンド向け製品の受注は激減。度重なるロックダウンなどの影響で生産ラインの稼働率も低下し、グループを牽引していた好調から一転、損失が膨らんでいった。コロナ禍において、ネオスとJENESISを取り巻く市場環境はまさに対局の状況であった。
JENESISの試練
新型コロナウイルスの感染拡大により、JENESISの中国・深圳工場は、限られた生産ラインでの操業を余儀なくされていた。混乱する現地情勢の中で、藤岡は現場スタッフの安全確保を最優先にしながらも、人員体制やサプライチェーンの維持に奔走。深圳に根を張った強みを活かし、現地パートナーや政府機関との連携・調整を重ねて、なんとか最低限の生産を確保していった。そこに追い打ちをかけたのが、メインクライアントであったインバウンド業界の急激な落ち込みである。観光需要の消失は、そのまま受注の減少に直結した。JENESISは従来の事業構造に依存し続けることのリスクを痛感し、新たな業界・用途に向けた営業展開を急ピッチで進めた。藤岡自身も陣頭指揮を執り、既存顧客から新規開拓まで、地道な営業活動を積み重ねた。わずかずつではあるが、新規案件が実を結び始め、2021年初頭にはようやく光が差し始めたかに思えた。
しかし、その矢先にさらなる試練が訪れる。世界的な半導体不足である。外出制限によるPCやゲーム機の需要拡大、工場火災による半導体生産の停滞、輸出入を巡る政治的措置——。いくつもの要因が絡み合い、半導体市場は深刻な供給不足と価格高騰に陥っていた。多くの自動車や家電メーカーが相次いで生産停止を余儀なくされるなか、JENESISもまた、生産継続のための部材調達に知恵と汗を絞った。現地のネットワークを総動員し、代替部品を含むありとあらゆる調達ルートを開拓。時には設計自体の見直しにより部材の柔軟な変更を可能にし、また先行調達によってコストの高騰を抑えるなど、出来得る限りのリカバリー策を講じていった。その結果、2021年後半には徐々に生産も安定し、業績も回復基調へと転じていった。
しかし安堵する間もなく、2022年春、急激な円安の波が到来する。2021年末に1ドル115円だった為替レートは、わずか10か月で150円台まで下落。その後も変動しながらも円安は常態化。製造コストの上昇により一時は減益となる厳しい状況が続いたが、為替予約などの金融的なリスクヘッジを徹底することで徐々に影響を緩和していった。過去の経験に学び、柔軟かつ冷静に危機を乗り越えていく姿勢は、この困難な局面においてもしっかりと根付いていることが証明された。
コロナ禍到来からの数年間は、JENESISにとって予測不能な危機が次々と押し寄せる、まさに試練の日々であった。しかし、その度に耐え抜き、粘り強く突破口を見出してきた。幾多の困難を乗り越える中で培われた柔軟かつ強靭な対応力は、JENESISに新たな前進の力をもたらしつつあった。
